ナッテル氏が命からがら逃げ出した後、屋敷では何食わぬ顔で会話が続けられます。
サキ『開いた窓』
“Here we are, my dear,” said the bearer of the white mackintosh, coming in through the window, “fairly muddy, but most of it’s dry. Who was that who bolted out as we came up?”
「ただいま、お前」と、白いマッキントッシュ(防水コート)を抱えた男が窓から入ってきながら言った。「かなり泥だらけだが、ほとんどは乾いているよ。私たちが近づいたときに、飛び出していったのは誰だい?」
“A most extraordinary man, a Mr. Nuttel,” said Mrs. Sappleton; “could only talk about his illnesses, and dashed off without a word of goodby or apology when you arrived. One would think he had seen a ghost.”
「とっても風変わりな方、ナッテルさんというのよ」とサプルトン夫人は言った。「自分の病気の話ばかりして、あなたたちが着くと、さよならも謝罪の一言もなく突っ走っていってしまったわ。まるで幽霊でも見たのかしらと思うほどでしたわ」
“I expect it was the spaniel,” said the niece calmly; “he told me he had a horror of dogs. He was once hunted into a cemetery somewhere on the banks of the Ganges by a pack of pariah dogs, and had to spend the night in a newly dug grave with the creatures snarling and grinning and foaming just above him. Enough to make anyone lose their nerve.”
「きっとスパニエルのせいだわ」と、姪は平然と言った。「あの人は犬が怖いって言っていましたから。いつかガンジス川のほとりかどこかで、野犬の群れに墓地まで追い回されて、掘りたての墓穴の中で一晩過ごしたんですって。すぐ上で犬たちが唸り声を上げ、歯をむき出しにして、泡を吹いている中で。誰だって正気を失うには十分な体験でしょう?」
Romance at short notice was her speciality.
即興で作り話(ロマンス)を仕立てることこそ、彼女の得意中の得意であった。
考察ノート
1. 語彙・表現のポイント
- Bolted out / Dashed off : 「飛び出した」「突っ走った」。ナッテル氏の逃走がいかに異常だったかが、家族の視点からも強調されています。
- Pariah dogs : 「パライア犬(インドなどの野犬)」。ヴェラの嘘が、さらにエキゾチックで詳細な設定へと飛躍しているのが滑稽です。
- Romance : ここでは「恋愛」ではなく、中世の「騎士道物語」のような「冒険譚」や「作り話」を指します。
- At short notice : 「即座に」「急に」。ヴェラがナッテル氏の逃亡理由すらも、その場で瞬時に捏造したことを示しています。
2. 構文・英文法のチェック
- One would think… : 「(普通の人なら)〜と思うだろう」。夫人の発言ですが、読者にとっては「本当に幽霊だと思っていたのはナッテル氏の方だ」という皮肉な裏返しになっています。
- Enough to make anyone lose their nerve : 「誰であれ、神経を失わせる(正気を失わせる)には十分だ」。ナッテル氏が「神経症(nerve cure)」の治療中だったことにかけた、実に意地の悪い締めくくりです。
3. 当時の背景と皮肉
- ホワイト・マッキントッシュ : 19世紀に開発されたゴム引きの防水コートです。この「白」という色が、夕闇の中で幽霊のような視覚効果を生み、ヴェラの嘘を補強する小道具として機能しました。
- サキの真骨頂 : 読者は最後まで、ヴェラの語った「悲劇」が本当かもしれないという緊張感の中に置かれますが、最後の一文で鮮やかに突き放されます。大人が子供に翻弄されるという、サキが好んだテーマが凝縮された幕切れです。
[ 権利・ポリシーについて ]
- 原作: Saki (H.H. Munro) ‘The Open Window’ (1914)
- 著作権: 本作は著者の没後70年以上が経過したパブリックドメインの原文を使用しています。
- 私訳: 本文中の和訳および解説は、当ブログ(havefun3.com)が独自に執筆したオリジナルの著作物です。
